大人たちの「完璧主義」がニッポンの子供を追い詰める・・・日本の子供は両親に従い、学校では教師に、そして社会のルールに従うことを徹底的に教え込まれる

『大人たちの「完璧主義」がニッポンの子供を追い詰める(リンク)』
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 子供が親に虐待され、殺される事件が後を絶たない。心が張り裂けるようである。驚くべきことに、今年1月に起きた千葉県野田市の小4女児死亡事件では、加害者である当の父親は、職場で温厚な人として一同から好かれていたという。これはいったい何を意味しているのだろうか。

 日本の子供は両親に従い、学校では教師に、そして社会のルールに従うことを徹底的に教え込まれる。確かに、始業時間を厳守することが、交通事故に気をつけるよりも大事であるような雰囲気があると、ある小学校の教師から聞いたことがある。そんな教育環境で育った子供が大人になって、日本の社会を築いていくのだ。

中略

 日本では前述した通り、目上の者に従順で、また完全な行為をすることを良しとする教育環境で育っていく。だから、親や教師の叱責は日常茶飯事である。大人になると今度は上司や客などから叱責を受け、社会に出ても叱られる環境から抜け出すことができない。私もノルウェーで日本人観光客のガイドをしていたときに、小さなミスを犯したことで添乗員から叱責され、非常に不愉快な思いをしたことがある。

 人間は不完全であり、多少の間違いを犯すことは普通であるはずだ。それなのに、日本人がなぜこれほどまでに完全さを求めるのか、不思議でならない。

 ノルウェーでは、完全さを要求するのではなく、不完全さを受け入れられる土台がある。そのおかげで子供たちはゆとりを持ち、お互いの不完全さを受容しながら健やかに育っていくことができる。同時に、18歳未満の子供たちの人権を保障する国際児童基金(ユニセフ)の「子どもの権利条約」を重視するため、児童や生徒たちに対して、学校が危険な行為を強制することはない。

 ノルウェーでの例をいくつか挙げてみよう。ある小学校の教師に日本の道徳教材の話をしたところ、興味を持ってくれたので、同じ内容の教材をノルウェー語に訳して、ノルウェーの子供がどのように答えるか試してみることになった。教材に使った物語の概要は次の通りだ(子供の名前は仮に付けている)。

 小学校の児童2人が、買い物をしにバスで街に向かった。下車の際に子供の1人、「宏くん」がお金を忘れたことに気付く。友だちの「亮くん」に貸してと頼んだが、母親に貸してはいけないと言われているために、貸してもらえなかった。ところが運転手は、誰かに借りて絶対に支払わなければいけないといい、宏くんはパニックになって泣き出した。すると乗客の1人が近づき、忘れ物をした宏くんに怒りながらも支払いをしてくれた。バスを降りると、宏くんのポケットにお金が入っているのが見つかった。この話を使って日本の学校では、責任を問う。研究のために訪問した学校のある小学6年生のクラスでは、1人を除いてクラス全員がお金を忘れた宏くんに責任があり、亮くんも2人の大人も悪くないという結果になった。

 そうして出したノルウェーの子供たちの答えは、同じ小6であっても、日本の児童と大きな違いがあった。忘れ物はいけないし、宏くんはポケットをよく調べるべきだったが、他の3人にも責任があるというのが圧倒的多数を占めたのだ。亮くんは友達なのに冷たいし、運転手も融通がきかないという感想だった。その上で、支払いをした乗客と同じく、相手は子供であることを考慮すべきだったと指摘したのだ。

 学校でも、子供たちの行為が一点の曇りもないように指導し、一般教師はおろか、学校教育に携わるリーダーたちも子供の権利に関する知識に乏しく、かえって強制行為を正当化していることは先述した通りだ。

 このように、日本人は学校や職場では、教師や上司から叱責や処罰を受けないように、完全を目指して最大限の努力を払う。ただ、自宅に戻れば、逆に憂さ晴らしができるようになっている。

 このような環境では、不幸な事件が連続するだけである。多少の間違いは大目に見ること、また多少の「乱れ」も受け入れることが、日本に真のゆとりある社会を形成するにあたり、重要ではないだろうか。

参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=352292

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