教育と発達障害・・・教育現場では発達障害やアスペルガーを見つけるのに躍起になっている

教育と発達障害
 
昨今学校教育の劣化が著しくなり、さらには教員の差別思想は増加の一途をたどっています。
教育現場では発達障害やアスペルガーを見つけるのに躍起になっているようで、向かう先は児童相談所や発達障害支援センターであり、知能や特性のばらつきを検査で指摘されて精神科へ紹介、精神薬を飲まされるというのがパターンになっています。
 
「昔は注意欠陥多動性障害(ADHD)なんて言葉は使わなかった。子どもって言ってたんだよ」 とは有名な言葉ですが、子どものいったい何割が不注意でないというのしょう?
片付けが上手か下手かはしつけによってまずは規定されるもので、十分なしつけによっても片付けられない子どもはごく少数です。
思いつきで行動するなど夢多き子どもの最たるものでありましょう。
 
もっといえば子どもも片付けができなければいけないとする発想そのものが、すでに固定観念の極みです。
このADHDの診断を受けた子どもには覚醒剤まがいのドラッグが用いられます。
ドラッグの代表であるコンサータを子どもに飲ませるということは、長時間効くシャブを子どもに飲ませているのと何ら大差はありません。
しかし毒親どもは言い訳と正当化によって自分は飲まずに子供を飲まして、影の虐待を繰り返していきます。
 
それをまた教員は推奨しているのです。
このような教員側の都合しか考えない、どーしよもうない教員がどんどん増えています。
子どもの問題行動について、発達障害を疑えと教育されている教諭は、そのような見方しかできません。
問題行動を全て個人の疾患として専門家に丸投げする姿勢は、教育の責任を放棄することでもあります。
 
医療の限界や問題点を理解し、その上でどのように困難を抱える子どもたちをサポートできるかを見つけ出すことが重要です。
はっきりいえば学校で問題を起こしているとか、家庭で問題を起こしているとか、解決するだけなら簡単ですが知らないやらないだけ。
大人の都合だけを優先するエセ教育者か、子供に信頼される真の教育者になれるかは、教育者次第なのです。

参照:https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=742074792947777&id=100014357893194

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