【信じること】信じるということは疑わないということで、疑わないということは無条件で正しいとみなすこと。これを「信仰」といいます。「思考停止状態」なのです。

信じるな

僕は新興宗教やカルトに限らず、宗教はすべてうさん臭くてインチキだと思っています。なぜなら僕は、「神を信じる」ということを否定しているから。僕は神のみならず、すべての物事を信じていないので、宗教はすべてインチキという考えになるのは当然です。

「信じる」の対義語は「疑う」です。僕は基本的にすべてを信じず、常に疑っています。とはいっても疑心暗鬼で生活しているのではなく、これって本当に正しいの?って常に考えるようにしているということ。信じるということは疑わないということで、疑わないということは無条件で正しいとみなすこと。これを「信仰」といいます。

人間には脳があって、脳は考えるために存在しています。だから考えることを放棄するということは、人間を放棄するということ。宗教の信者は信仰を持っていて、自ら考えることを放棄しています。だから暴力や殺人を厭わないし、サリンだって撒くことができるのです。

僕は人間を放棄したくありませんし、自ら考えることを放棄したくありません。だから自ら考えることを放棄させ、疑うことを放棄させ、信仰を強要する宗教には嫌悪感を抱いています。たとえ2000年以上昔からある宗教であっても、信仰を強要している時点でダメです。

宗教の信者は自ら考えることを放棄していますから、人間を放棄しているのと同じです。自らの頭で考えない人とは議論などできません。そういう人間とは関わらないのが一番です。何しろ相手は人間ではないのですから。

ちなみに信仰は宗教だけとは限りません。特定の人物を無条件に信じている人もまた、信仰していることになります。だから「○○さんの信者ですね」って言われるわけ。自分の頭で考えず、その人の言動は無条件ですべて正しいなんて考える人って気持ち悪いですよね。そりゃ、人間じゃないのだから気持ち悪いに決まっています。

科学は常に正しいと考える科学信者。論文は常に正しいと考える論文信者。テレビは常に正しいと考えるテレビ信者。医者の言うことは常に正しいと考える医者信者。みんな気持ち悪いし関わるべきではない人たちですね。疑うことを放棄することは人間を放棄すること。信者になること、信仰を持つこともまた人間を放棄すること。僕は人間が好きですし、自分自身も人間であり続けたいから、自ら疑い考えることは絶対に放棄しないでいきたいです。

参照:https://www.facebook.com/shukaku.nagao/posts/2676498055761415

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