医療現場における「点滴」原則は、とっくの昔に崩壊している。 口からちゃんと水分や食物を摂れる患者にまで、日本中の病院で点滴が当たり前のように行なわれている。

(つづき)
●点滴を利用して薬剤の大量消費が行なわれている

体内に溢れる輸液のことを、医学用語で”溢水(いっすい)”と呼ぶが、文字通り溢れる水のことだ。つまり、医療現場では過剰大量の点滴で、体内に水が溢れる事態をはっきり認識している。だがそれでも、過剰点滴は日常茶飯事に行なわれている。その理由はいったい何だろうか? しかも末期になればなるほど、点滴の輸液量は増大する。こうなれば目的はただ一つ、大量の薬剤を消費するために、それを患者の体内へ注ぎ込むのだ。

まずここで、点滴という医療行為を冷静に見つめ直してみよう。
それは医療現場では見慣れた光景であり、ほとんどのベッドに横たわる入院患者には点滴が施される。しかもその点滴装置をガラガラと引きずりながら、病院内を動く患者の姿も珍しくない。トイレにも引っ張って行く。自販機で缶コーヒーを飲んでいる人もいる。患者は当たり前のように、装置を引きずりながら部屋を出入りしている。

これは実に奇妙な光景というしかない。
「点滴」の定義を調べてみよう。そこには「口から水分を摂取することが不能な患者に対する応急措置」とある。生命維持に必要な水分を口から摂れなければ、他の方法によるしかない。その窮余の策として考えられたのが点滴なのだ。だから点滴という医療行為は本来、水分の経口摂取が不能な患者にだけ行なう救急措置である。

だが実際には、点滴装置ガラガラの多くの患者は、普通に見舞い客と談笑してお茶を飲み、休憩コーナーで自販機から何かを買ってうまそうに飲んでいるではないか! 彼らはとても、経口水分摂取が不能な患者には見えない。これが、日本中の病院で溢れ返っている光景なのだ。

つまり、医療現場における「点滴」原則は、とっくの昔に崩壊している。
口からちゃんと水分や食物を摂れる患者にまで、日本中の病院で点滴が当たり前のように行なわれている。その理由はただ一つ、大量注入による薬剤の消費である。

昔はその都度、注射であったが、投薬の種類も少なかったからそれで済んだ。
だが現在では、病院で患者に投与する医薬品の数は半端ではない。それは数十種類にものぼり、そのたびに患者に注射していたのでは患者も痛くてかなわない。それでは患者もいやがるし、病院側としても薬剤の消費が増えない。

そこで彼らは「点滴」に目をつけた。
これなら1回針を刺してセットするだけで済む! 患者の苦痛も1回だけだ。こうして両者の”思い”が一致して、点滴は本来の用途から大いに逸脱し、点滴ガラガラで缶コーヒーを飲む患者の姿という、現代の病院風景となったのである。

異常も繰り返されれば日常となり、いつの間にか”正常”と勘違いしてしまう。
点滴がまさにその典型である。本来、経口水分摂取不能な特殊な患者にだけ行なわれるべき点滴医療が、今や、大量の薬剤を消費するために、それを患者の体内へ注入する手段として活用されている。

世界の医療利権、つまり西洋医療を支配するのは、ロックフェラー財閥とロスチャイルド財閥であり、世界の巨大製薬会社はすべて、彼らの傘下にある。つまり、約1000兆円と推計される医療利権のほとんどは、これら二大財閥に吸い上げられている。その製薬利権を現場で支えてきたのが点滴という、薬剤の”高速道路”なのだ。

だからたとえ、点滴が本来の定義から大きく逸脱していようと、それが問題視されることはないし、黙殺されてきた。それが日本全国の病院の現状である。

 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=322332

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