やっぱり?世界文明の起源は日本だった!?①記事タイトル

世界文明の起源が日本だった・・・そう思えてならない記事を見つけたので紹介します!

リンクより引用します。

******

1、日本で世界最古の文字が発見された

今世界の考古学会が,日本で文字が書かれた”ペトログラフ(岩絵)”が発見されたことに注目しています。
米国文化学会やカナダ文化学会、オーストラリア岩石芸術学会等では「文明の発祥地は日本ではないか」と響き立っています。

そこで、「世界文明の起源は日本なのではないか?」という謎に迫ります。

先ず、日本には超古代の神代文字で書かれた「カタカムナ文献」があり、それによると10万年以上前の超古代に、カタカムナ文明が兵庫県”六甲(カバラ=生命の木)”山近辺にあったことが、戦前、天才物理学者・楢崎皐月(口封じのためか後に暗殺された)によって明らかにされています。

そして、近年の調査では、この兵庫県神崎郡神河町と朝来郡生野町にまたがる八幡山には、空海によって四国・剣山から移置された世界中心の象徴で、ムー帝国皇帝の証「契約の箱アーク」があると言われています。

また、創建1万5千年以上とされる熊本県阿蘇郡にある「日の宮幣立神宮」の御神体「日文石板」は、
約20~30万年前のものですが、その表には「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。

この意味は「大量の糸の原料となる真麻欄(まおらん)を採取し、それから取った縷(細い糸)を紡ぎ、衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は彼方に退散する。神様がくださった広大な田畑を心してしっかり耕作せよ」となるといいます。

そして、これと同じ文言が和紙に書写されたものが、古代ユダヤ10支族・物部氏の拠点である奈良の石上神宮、また伊勢神宮よりも権威があったとされる大分の宇佐神宮にも奉納文といて保管されています。

以上に加えて、全国約800カ所からは
「阿比留草文字」
「出雲文字」
「秀真文字」
「守恒文字」
「神山文字」
「アイヌ文字」等
約40種類のペトログラフが発見されていますが、注目に値するのは、海外で見つかったペトログラフが絵画中心なのに対し、これらは文字が中心である点です。

国学者の平田篤胤が「漢字伝来以前に使われた我が国の古代和文字がある」と指摘しているのは、このような神代文字のことだったのです。

2、ペトログラフに見るムーの記憶

一方、このペトログラフからはムー文明の痕跡が見られます。まず下関市彦島や角島、北九州にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島海底のものと類似する海底神殿跡やペトログラフがあることから、主に北部九州から近畿にかけてムーの生き残り「メネフネ族」がいたことが推測されます。

下関市教育委員会と九州大学の調査によると、彦島杉田丘陵のペトログラフには、「遠い世の父母より世に生まれ交わり、子々孫々栄え来たり。地の都となる世の来るまで、敵を倒し、我らを助け、突き進み、世も昼もみそなわす我らが日の神」と書かれていて、

また、角島の対岸にある特牛(こっとい)は、”長門国の田布施”といわれる”特別な土地”で、シュメール語の”コッテ=神に捧げる牛”が転訛したものです。

これらの痕跡とムー文明を結びつける傍証としては、ニュージーランド北方のポナペにある、1万2千年前の「ナンマドルの海底神殿遺跡」です。またハワイやイースター島でも古代遺跡が発見されており、上記日本の遺跡と類似している事から、太平洋上に大陸があった事を推測させます。

これ以外にも滋賀県安曇川町のプリテニ文字、沖縄県のムーの石板十二枚、熊本県人吉市のサラムー(ムーの王)の磐座等がありますが、
ポイントは、これらと同形の遺跡やペトログラフは、韓国、台湾、中国では全く見つかっていないことです。

3、二万年以上続いた「鵜芽葺不合王朝」

そして、以上のペトログラフや後に触れる”七大奇書”といわれる古史古伝によると、大和王朝と神武天皇以前にも二万年以上続いた「鵜芽葺不合王朝」などの”大和先行王朝”や、

初代・天主天皇(天之御中主大神)、
高木天皇(高御産巣日神)、
神巣天皇(神産巣日神…以上”造家三神”)、
大綱手彦天皇、
弥広殿造天皇、
造化氣万男身光天皇、
富金足中置天皇、
天日嗣天皇など
数百代にわたり天皇が存在したとのことです。

例えば、豊後国の大守だった大伴能直が「山窩(サンカ)」の伝承を集め記録した「上記(うえつふみ)」によると、
「鵜芽葺不合王朝の第二十五代、二十六代天皇は、皇子たちを世界に派遣し文字を伝えた。富金足中置天皇は一万五千四百八十五年前に、四百六十年間に渡って治世した」
と有り、
これらは、大分県国東半島で発見された巨石上のペトログラフ「豊国文字」にも記録されています。

また、秦の始皇帝が不死の薬を求めて日本に派遣した物部系古代ユダヤ人徐福が、富士山麓で書き残した「富士宮下文書」をもとに、三輪義煕が編纂した「神皇記」によると、

神武以前に先行王朝が三つあり、
初めは富士山麓にあった「富士高天原王朝」で、

「大陸から九州方面に大軍が押し寄せて来たため、附地見島(九州)に海佐知毘古を元帥として送り、海軍を編成、王朝も阿蘇切枝間に移し千五百日目に全島の鎮圧を完了した(阿蘇豊国王朝)」とあります。

ただ「その後、近畿地方で長髄彦命(ナガスネヒコノミコト)が反乱を起こしたため、日高佐野王が海路から久真野に上陸、湯野崎水門近くの二高の宮を行宮として賊軍を討ち、大和国橿原宮で即位し「鵜芽葺不合王朝」が始まった」ということです。

また、「鵜芽葺不合王朝」と相前後し、あるいはその統治下には、
北から
「荒覇覇吐王国」
「日高見王国」
「邪馬台王国」
「吉備王国」
「出雲王国」
「不弥王国」
「投馬王国」
「伊都王国」
「熊襲王国」
が存在し、最
終的に「大和王朝」に統一されたと書かれています。

ともあれ、とりわけ驚かされるのは、冒頭に述べた「カタカムナ文献」には、「宇宙の真理”マカバ”」や宇宙の歴史、生命体の本質、さらに超科学テクノロジーについて述べられていることで、近年、その研究が急速に進められています。

 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=321962

シェアする

フォローする