そもそも、現代人のライフコースが生殖に向いていない。日本人は絶滅の危機に瀕している。

精神科医・熊代亮氏のブログより(リンク)引用します。

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ここ十数年ぐらいの日本では、仕事に打ち込み続けるうちに、結婚や子育てのタイミングを逃してしまう女性が後を絶たなかった。そうでなくても、出産や子育てに踏み切ったことによってキャリアが中断してしまった女性や、職場に迷惑をかけていないか気にしている女性が少なくなかった。

そもそも、現代人のライフコース自体が生殖に向いていないのではないか。結婚。出産。子育て。

こういった、生殖にダイレクトに関わる諸々が非常に難しくなっているからこそ少子化には歯止めがかからず、ちょっと大げさな言い方をすると、日本人は絶滅の危機に瀕しているのではないだろうか。

さきほどから私は、現代人という言葉を使っている。ここでいう現代人とは、できるだけ良い学校に入り、できるだけ良い収入や地位を目指すことを良しとする人々のことだ。因襲や宗教よりも社会契約や合理主義を重んじ、勤勉で、仕事をサボることを良しとしない。たとえば21世紀の東京で働いている人のほとんどは、この現代人に該当すると考えて差支えない。
 
昭和の終わりに、「一億総中流」という言葉が流行したことがある。「一億総中流」とは、みんなが中流の年収を得るようになったという意味ではない。みんなが中流意識を持つようになったこと、つまり、ホワイトカラー的・ブルジュワ的な意識が社会に行き渡ったことを指した言葉が「一億総中流」だった。
 
生活面では、家電製品やレトルト食品やサービス業の進歩によってカヴァーできていると言えるかもしれないが、生殖、子育ての領域はこの限りではない。保育所だけではカヴァーできない部分はまだまだあるし、その頼みの綱の保育所ですら、待機児童問題を呈して順番待ちのありさまである。のみならず、ブルジュワ的な意識においては、子どもには上昇志向な教育をカネをかけてほどこすのが当然とみなされているから、ただ子どもを食わせるだけでは駄目なのである。
 
だから、ブルジュワ的な意識をじゅうぶんに内面化した現代人は、子育てにカネがかけられる見込みがない限り結婚したがらないし出産したがらない。「貧乏の子だくさん」などという事態を、ブルジュワ的な現代人は選ぼうとしない。それは、男も女も同じである。

現代人のライフコースは、みずから生活や子育てを実践していくことを前提につくられていない。あくまでブルジュワ的に働き、ブルジュワ的に「稼ぐ」ことが前提になっていて、社会も個人の内面もそのようにつくられてしまっている。これまではそれで良かったのかもしれないが、これからもそれで良いのだろうか?
 
「ブルジュワの打倒」と書くとマルクス的に聞こえるかもしれないけれども、生殖という観点からみても、ブルジュワは、打倒すべき対象ではないだろうか。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=337459

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