【石原慎太郎とオウム真理教】石原慎太郎はオウムに資金提供し、オウムを宗教法人にした。石原信太郎の4男はオウムの幹部だった。

【1】石原慎太郎の弟裕次郎の手術の執刀医がオウムの林郁夫だった
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100406/1270496070
 1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。地元の後援会にも知らされず、全く唐突であった。日本の政治に失望したという趣旨の意見を残しているが、とってつけたような感じである。なぜ唐突にやめるのか、全くその説明としては不十分であった。

 しかし、彼は議員辞職をせざるを得ない、大きな事情を抱えていた。

 オウム真理教は、1984年(昭和59年)2月に任意団体「オウム神仙の会」として設立された。その後、1989年(平成元年)8月に、東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。東京都は頑なに認定を拒否し続けていたのにもかかわらずである。

 一方、石原裕次郎は1978年(昭和53年)、舌ガンのため慶應病院に最初の入院をする。翌年東大病院に転院して再び手術を受ける。ここで病魔を克服したかと思ったが、1981年(昭和56年)、解離性大動脈瘤で再び慶應病院に運ばれる。生還率3%、6時間33分の大手術に耐える。しかし、その後も1984年(昭和59年)に肝細胞ガンで、1985年(昭和60年)に胆内単胆菅炎でと毎年慶應病院に入退院を繰り返し、1987年(昭和62年)7月17日に永眠。

 オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。

【2】石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。

 1987年に石原裕次郎が亡くなった2年後、オウム真理教は宗教法人になっている。頑なに宗教法人認定を拒否されていたオウム真理教としては、好き勝手なことをするためにはなんとしても宗教法人の認定を受けたかった。林郁夫から1988年に運輸大臣であった石原慎太郎に、状況打開の依頼がいったことは想像に難くない。実際、石原慎太郎は運輸大臣の肩書きを背景に東京都にプレッシャーをかけ、オウム真理教はまんまと宗教法人に成りおおせている。

 石原慎太郎が議員辞職を表明した直前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きる。宗教法人を隠れ蓑にしなかったら、このようなとんでもないテロをオウム真理教は起こせたであろうか。当時、政権は村山富市首相であり、自民党は戦後もっとも弱体化していた不安定な時期であった。阪神淡路大震災の不手際で政府は批判を受け、そして地下鉄サリン事件である。その原因を作った人物が元閣僚経験者で衆議院の赤い絨毯の上で踏ん反り返っていることが衆人の知れるところとなったら、自民党はひっくり返ってしまう。表面的には強がりを言っていたが、詰め腹を切らされたことは、想像に難くない。

 その時の思いつきと自分の人気がどうやったら出るかしか考えられず、自分の言動がどのような影響を与えるか想像できない。そして、本書を読めばわかるが、本当に節操がない。政治家として最も不適切な人物と言わざるを得ない。そして、オウム真理教に対するものも、きちんと責任を取っていない。もっとも、へたに取ればとんでもないことになってしまうが。

 そんな人物が東京都知事として君臨しているのである。東京に住んでいれば実感するが、この4年間で確実で東京は住みにくくなった。それは、不況のせいではない。福祉の切り捨てをやっているのである。節操もなく弱者への思いやりもく気も小さい、そんな人物をあなたはさらに4年、都知事として仰ぎたいか。

【3】石原慎太郎は、オウム真理教への資金提供を行っていた

石原 慎太郎、オウム真理教への関与疑惑
http://www.hostlove.com/cgi-bin/tv/ibo.cgi…

宗教学者の中沢新一の証言によると、石原の四男の画家、石原延啓はオウム真理教の幹部であったとされる。浜田幸一は自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、石原が、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判している。

[ 匿名さん ] – 2011/08/19 21:49

(025)
石原が議員辞職を公にしたのは、オウム真理教の犯行を疑われている国松警察庁長官狙撃事件の起きた1995年(平成7年)3月30日から半月後の4月14日である(地下鉄サリン事件の発生は3月20日である)。同年6月には山口敏夫が二信組事件への関与疑惑によって、衆議院での証人喚問を受け、後に逮捕されている。

【4】石原慎太郎の四男は「オウムの幹部」だった

[ 匿名さん ] – 2011/08/19 21:49

(026)
石原都知事の四男には「オウムの幹部だった」という噂が流れていたのは知ってる人も多いと思う。が、それどころか「慎太郎はトロッキストのネオコンで、オウムのクーデター成功後には首相になる予定だった」という話もある。以下、引用。

[ 匿名さん ] – 2011/08/19 21:49

(027)
彼らは北朝鮮の工作員から徹底したクーデターのノウハウを学び、実際に多くの若者を拉致し、軍事訓練を行い、その準備を進めていました。何とそのクーデター成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたとの元オウム官房長氏の 爆弾暴露証言までついています。

[ 匿名さん ] – 2011/08/19 21:50

(028)
検察当局との「司法取引」により、公職即ち国会議員を辞職することで、この話は闇に葬り去られたのです。また、石原氏4男、延啓氏はオウムの準幹部(官房長官副秘書官)だったが、第7サティアンで”救出”され、保護、その後暫くの間、高尾病院に強制入院させられていたことも初めて明らかにされました。

麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は画家の四男延啓の作である。
 

核、村井、アベシ


安倍は彼自身の核への野心のために、ロシアよりのカードを探っていた。アメリカ大使館ケーブル(9/22)で述べられたとおり、読売新聞はホワイトハウスに対して挑戦の働きかけをした:「昨日、政府と国内の電力会社は、ロシア国営の核独占企業であるAtompromに、原子力施設使用のウラン濃縮を移管するための、ロシアとの最終的な会談に入ったということがわかった。」ワシントンが日本の核装備受け入れを拒否すれば、東京はモスクワに方向転換するだろう。

自民党が2006年9月に安倍を首相に選び、タカ派的な安倍は、防衛の厳格な体制と非核原則という戦後の政策を乗り越えていくことを繰り返し求めた。日本の核装備への支持は、彼の家系から生まれたものだ。彼の祖父である岸信介は、戦時中に原子爆弾のプロジェクトを育て、戦後は首相として、一般の核開発計画を制定した。彼の父安倍晋太郎(元外相)は、1980年代にロシアと取引をして、ロシア-日本カレッジを後援しているが、ここはオウム真理教(外国諜報機関のフロント)に運営され、崩壊したロシアから軍事科学者を雇っていた。

日本の核装備をアメリカが受け入れるにあたっての一番の障害はペンタゴンで、そこでは真珠湾と広島がアメリカ軍の優越性を正当化するシンボルとして残っている。アメリカと相互に譲歩がありそうなルートとしては、核兵器の製造を監督する民間経営のエネルギー省(DoE)を通すことだった。

キャンプ・デービッドでの前進

安倍のワシントン訪問に続いて行われたこの取引は封印されている。ブッシュはニクソンの失墜につながった盗聴には慎重で、キャンプ・デービッドではプライバシーの方を好んだ。4月27日、この素朴なロッジで、ブッシュと安倍は45分にわたり協議したが、漠然とした概略でさえ明らかにされることはなかった。

安倍が示したロシアのカードから、彼が濃縮ウランを買っていたことが示唆される。アメリカ製のウランとプルトニウムは世界で最も純粋な核物質で、99.9パーセントの純度をもつ。鉱物の不純物質の欠如は、その出所をつきとめられないということだ。対照的に中国やロシアの研究室の材料は、濃縮プロセスの間に取込まれた不純物により出所を特定することができる。

安倍には、難解なテクノロジーに対する広い知識がある。彼の1980年代最初の仕事は、神戸製鋼のマネージャーだった。その研究者のうちの1人が、天体物理学者村井秀夫で、

彼はソビエトの電磁気テクノロジーを「常温形成」鋼に適応させた。

村井は後にオウム真理教の主任科学者になったが、

オウム真理教は安倍の父によって始められたプログラムの下、

ソビエトの武器技術者を雇い入れた。安倍は政府の活動を始めると、JETRO(日本貿易振興会)の米国支所に配属された。そのニューヨーク事務所は、ペンタゴンと主な防衛システム開発請負業者の先進技術を盗み出すための、データベースを解読するコンピュータのホストをつとめた。そのハッカー・チームは東京大学の最高のゲーマーにより率いられ、彼はオウムに入った。

1995年の東京地下鉄サリン事件後、
安倍は公共関係のキャンペーンのため、
オウムと距離を置くことになる。

島津論文で、福島第一(4号機爆発)につながる。


「サリン事件が起こると、安部晋三はオウムとの繋がりが隠し始めましたが、自分が首相の時には核武装への夢が捨てられず、ブッシュ・チェイニーと交渉し、兵器級プルトニウムの提供と、秘密裏の日本の核武装容認を求めました。安倍にはロシア寄りのカードがあったため、「ホワイトハウスが日本の核武装を認めないなら、日本はロシアと組む」というメッセージを、読売新聞を使って伝えたようです。

ブッシュは日本の核武装を認め、PANTEXという核兵器貯蔵施設から兵器級プルトニウムを盗み出させ、イスラエルを使って日本に密輸しようとしました。仲介者にイスラエルを使ったのは、万一事が発覚した時に、アメリカも日本も「知らん」と言える為の保険です。

しかし、イスラエルは、アメリカから渡された兵器級プルトニウムは自国の核兵器の為に掠め取り、代わりに劣化したプルトニウムを日本に届けました。(核弾頭のプルトニウムは時間の経過と共に劣化するため、定期的に新鮮なものと取り換える必要があります)

激怒した日本は返金を求めましたがイスラエルはこれを拒否し、ブッシュ政権末期になったこともあり、その後は日本も何も言えなくなりました。劣化したプルトニウムは再濃縮しないと核兵器として使えません。

そこで、日立とGEはレーザープラズマ濃縮技術を開発しましたが、これには膨大な量の電力を必要とするため、原発一基を営業外運転する必要がありました。そこで秘密裏に稼働していたのが福島第一原発4号機なのです。東電の発表では「定期点検中で燃料棒は抜かれていた」ハズなのに、4号機があのような「不完全核爆発」をしたことには、そのような裏があったわけです。」

【写真】アベシが望むもの、服従ではない。
「彼らはこのような国家を愛せ!と言う そしてわれわれはこのような国家を愛するようになるのだ!」
麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は画家の四男延啓の作(左上下方)

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