水は、生命に必要なものではなく、生命それ自体である。

生命とは何か?

私たちはその根幹部分をDNAであると考えたり、たんぱく質であると考えたりしています。
しかし、ソマチッドのように、たんぱく質よりずっと小さい物質がその根幹に近い部分の働きをしている可能性があります。

そして、「水」なのですが、
水は単に水素と酸素の原子がくっついたものという単純な捉え方ができない、実に有機的な構造をもっています。
宇宙エネルギーがその構造を規定している可能性があります。

これまで、水は生命のとって必要不可欠なものと考えてきましたが、水自体が生命の根幹部分であるという捉え方の方が正しいかもしれません。
「生命と水」
地がその姿を現わす前、太初に地球は水星であった。

もし山を削って海を埋めれば地球は2、500m以上の深い水に漬かってしまう。

地球表面積の70%になる大量の水のおかげで地球は快適な環境を維持することができる。 

人体の70%は水で構成されている。

細胞と細胞間も水で、関節と関節間のやわらかい組織も大部分が水である。  

水は人体のすべての小さい空間ごとに満たしてあって臓器と臓器間、組織と組織間に摩擦に困っ た損傷を防止する。

96,500kmの血管を通じて酸素と栄養を供給してくれる血液も水なしには存在することができなく,新陳代謝のかすも水なしには体外に排泄されることができない。

水はわれわれの体で消化、吸収、循環、排泄など全過程にかけてなくてはならない存在である。 

すべての機械がきれいに掃除される時に作動がうまく行くようにわれわれの体も水をたくさん飲んで掃除がうまく行ってこそその機能が増進されるのである。

水の循環が自然を快適にするように水の循環が人間の生を維持しているのである。

アメリカの著名な医学者、ルイス トマス博士は、すべての病にはたった一つの鍵がいる。

それの発見 によってすべての疾病を治めることができると話した。

そしてそれについて次のような考えをすることになった。 

太陽系で生物が存在する所はこの地球だけであって地球上の水と言う存在が生物を誕生させるのである。

 水こそ生命の健康を左右する鍵すなわち黄金マスターキーと言う結論を得た。

 鋭利な洞察力で薬草を分類して、鍼術を整理して人間の健康の為に情熱を捧げたホズンは彼の東医宝鑑で水を33種に分けた。

早朝一番はじめに汲んだ井華水、寒泉水、千里水、玉井水など33種に水を分類ながら彼は水が病気と深い関係があることを説明している 。

イギリスの諺に「良い水を飲めば疾もかからなくて妾を寡婦で作るでもない」と言う言葉がある 。

良い水はわれわれの体を健康に作って悪い水はわれわれの体に疾病を呼び入れる。

われわれが飲む水の量と質がわれわれの組織の質を決めて病気に対する抵抗力を決める 人体の大部分である水こそわれわれの健康を左右する鍵である。

1955年世界保健機関であるWHOはClean Water means better healthという標語を掲げることがある。

奇麗な水こそすぐにわれわれの健康で ある。 

それでは果たしてどのような水が奇麗な水やら? 自然でいちばん奇麗な水は露水である。

漢武帝は健康な生を生きる為に承露盤で露を受けて食べたと言う。

純粋な水が健康に良いと言うことは前前から人間が本能的に分かっていたことである。

フランスの小説家のセンテックズィベリは、水は生命に必要なものではなくて生命それ自体であると喝破した。

水はすべての生命の根源であり生命それ自体である。 

人間は生命が孕まれる瞬間から水で始まる。

親の精液で生命体で孕まれて 羊水で成長発育する胎児期には97.5%が水分である。出生後3カ月が過ぎれば91%,8カ月後は90%が水分である。成長して大人にな れば70%に引いて60代が過ぎれば水分が体重の50%まで減る。

自然に水が多ければ新鮮で水が少なければ不潔するように、人間も水が多い時代には若さを維持して水が減りながら若さを失うことになることである。

現代科学が水の溶解能力を言いながら蒸留水に対する誤解が起こり始めた。

水は構造上すきまが多い液体であるのでこのすき間間に別な物質の元素を溶かして入れる。

これを溶解であると言う。水は分子すきまに別な物質を溶解する性質があるので特に蒸留水を飲めば何でも分別なしに溶解すると考えたことで ある。 

だから蒸留水を飲めば一週間も経たずに死ぬ、下痢をするという誤説が社会に蔓延した。しかし去る30余年前から蒸留水だけを飲んで病気を治した事例がたくさん起こりながら 蒸留水に対する研究が活発になり始めた。今多くの学者は蒸留水だけがわれわれが安心して飲むことができる水であると口をそろえている。 

水に対する誤った神話が壊れる所でわれわれの健康は始まるのである。

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