「教えない授業」が日本の若者の閉塞状況を解放する

最近、都立両国高校の山本教諭が行なっている授業のことを書いた書物「なぜ『教えない授業」が学力を伸ばすのか」(日経BP社)が大きな話題となっています。
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山本教諭が「教えない授業」を行おうと考えたきっ掛けの一つは東日本大震災の被災地に立ったとき、そのあまりの惨状を目の前にし「人間には、ゼロからスタートしなければならないときが来る。教師が居なくても学び続ける子供たちを育てなければならない」と考えたこと。

そしてもう一つは、それまで英語教諭として20年近いキャリアがあり英語教育の全国大会でも高く評価されていたわけですが、震災のあった夏英国ケンブリッジ大学の英語教授法研修会に参加することになったとき、自信満々で行った模範授業に対しての評価が「君の授業は生徒にレールを敷きすぎている」という厳しいものだった体験からです。

そうした体験の中から、「自分の授業には、生徒を自立させるという観点が欠けている。生徒を信頼し、任せ、活動をさせ、失敗を繰り返しながら解決方法を見つけ出す力を付けさせなければならない。失敗から学ぶ経験をしないまま卒業させ、社会に出すことは、教師として無責任だ」ということに気付いたわけです。

つまり「失敗させない丁寧な指導」から「失敗させて自立を支援する指導へ」の180度の転換です。

その結果、
○都立両国、復活の舞台裏(上) 「教えない授業」の魔力 リンク
にあるように、生徒達の勉強やクラブ活動への活力が上がっただけでなく、今や大学合格実績が都立高校トップに躍り出たのです。つまり「教えない授業」は学力低下どころか、受験に対しても有効であることが証明されつつあります。

今、若者達の閉塞感と、「仕方なく生きている」といった生きる意欲の無さが大きな社会問題になっています。
これに対する付け焼刃的な対症方法は有りません。

戦後一貫して行われてきた、教科書に書いてあることをたくさん覚えた人=頭の良い人、という図式ではなく、この山本教諭が目指し実践する「教えない授業」を通して、(何より子供たちが生き生きと楽しく)自ら考え・追求し・判断し・発信できる能力を身につけることこそが、この閉塞感を打破する解決方法であると確信できます。

 

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