日本病院史における外圧の変化と病院の遍歴 ②

①のつづき

◆江戸時代末期~
・戊辰戦争が勃発。新政府軍・旧政府軍双方とも負傷兵治療のために外国人医師や国内蘭方医(上記私塾で学んだ塾生など)に従軍させ、軍事病院、野戦病院を設置する。
・漢方医学では銃創の治療が不可能であったため漢方医の権威失墜。戦時は漢方医に即席で西洋医学を教えて従軍させるなど。
・戦争での西洋医学の有用性が照明される。

◆明治時代~
・新政府樹立。近代国家・近代軍隊整備のために次々と陸海軍病院が設立。本格的に国家運営に取り入れられ、システム化される。
・戦時の負傷兵収容を目的とした病院の整備及び軍医の教育の場としての医学校
・また、公的な病院として伝染病(ライ病・結核・梅毒)の隔離病棟も整備される。
・徳川幕府下ではオランダが主導して西洋医学を伝習していたが、新政府では初期はイギリス医学、その後ドイツ医学を伝習することが決定される。
・後の列強国のアジア植民地化においては西洋から伝習した医学を日本から植民地国へ伝習する立場に。
・中央集権、富国強兵政策の下、学制の整備が進められる。ex東京帝国大学医学部開設など。⇒ 大学医学部を国の医療政策の中心に置き、教育だけではなく医学の基礎研究、臨床研究も担わせ、ヒト・モノ・カネ・情報を集中させる。

・明治維新後も各藩は西洋文化に乗り遅れぬよう江戸時代から持っていた藩医学校を母体に藩立病院を設立。⇒藩単位で急速に病院が整備される。
・藩立病院は戊辰戦争で新政府側が多かった西日本に多く、東日本は地元有志による出資を元にした共立方式、会社立方式が多い。
・藩立病院は廃藩置県により事業体が消滅。多くは閉鎖され、一部は私立病院として存続する。後に政府によって閉鎖病院再生が成され、公立病院として使われる。
・しかし、西南戦争での財政悪化により、財政再建を目的とした明治20年の勅令が交付される。それによって地方税の投入をカットされた多くの公立病院は、閉鎖ないし民間への払い下げが行われる。⇒世界でも稀な現代の民間病院主導の医療整備に繋がる。
・当時の病院は公立病院も教育を目的としているため一般患者を受け入れるような施設ではなく、私立病院も名医の個人病院として成り立つため診察料が非常に高価でまだまだ庶民には縁遠い存在だった。

・岩倉使節団による西洋視察を経て、医学教育調査を担当した長與専斉が西洋の病院設備・衛生設備に触れた後、明治政府の医療制度を定めた「医制」を施行する。
・「医制」は今日の「医療法」「歯科医師法」「薬剤師法」「保健師助産師看護師法」を併せ持った性格を持ち、昭和17年施行の「国民医療法」に替わるまで医療関係法の主軸となった。
・当時の日本は多産多死であり人的資源である国民の衛生。及び大量死を招く伝染病対策が必要だった。
・「医制」の制定によって病院の設立は許可制になった。ただし、病院の定義は曖昧で、後に病院は10人以上を入院させる施設とし、病院設立には許可と施設検査が必要とした。

※この医制での病院定義から、今日の医療法による病床数によって病院と診療所を区別する流れができたが、これは日本独自のもの。海外では病院(ホスピタル)と診療所(クリニック)は機能が別の医療機関。病院には基本的に外来機能はない。

◆大正~昭和
・明治から太平洋戦争敗戦まで、政府による国立病院は帝国大学付属病院、官立大学付属病院、海軍病院、陸軍病院という特定患者に対する病院、または伝染病・精神病など特殊な疾病にたいする専門病院で、一般病院はゼロに近い。
・一般病院の96%、診療所の95%が民間の病院によるもの。国は一般病院には財源を掛けずに、民間にその領域を担わせた。

◆昭和後期(敗戦GHO統治~高度経済成長)
・戦後GHQ占領下では主に「戦災復興・移民帰還での公衆衛生整備及び伝染病対策」「軍と医療の強い関係性を崩し、公共衛生整備の方向へ向かわせる」政策が実行された。
・医療制度再編はGHQ所属の軍医サムス少将によって行われた。現代の「医療法」を始めとし、「医師法」「歯科医師法」「薬剤師法」「保健婦助産婦看護婦方」等の医療関係法の基礎はほぼサムス少将によって形作られる。
・法整備と教育制度の整備が進むことで現代の医療体制に近い体制が浸透し始める(ex.以前は患者の面倒は患者家族が見るのが当たり前であったが、医療法制定によって患者の管理は病院責任によるものとなる等)
・陸海軍病院、及び軍と関係の深い民間組織(日本医療団等)は解体され、新たに公立病院が増やされる(現代の病院に近い意味での公立病院)
 ※日本赤十字社は軍との関係が強固であったが、皇室との結びつきも強固であったため解体されず、組織再編に留まっている。
・GHQは戦後復興のため公衆衛生の整備が急務であるとし、欧州の医療体制(病院は公立機関として政府が運営)に近づけるために公立病院を増やす政策を取る。⇒ それ以前の9割民間病院から、公立病院の割合が増える。 ⇒ しかし、財政問題などから現在でも民間病院主の医療体制となっている。
・公衆衛生整備では、昭和21年 国立公衆衛生院(ロックフェラー財団寄付)が設立。公衆衛生教育。保健所制度確立と進んでいく。敗戦での生活困窮者への食料給付もその一環。

 

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