イエズス会と天皇

明治維新より、天皇・田布施一味は、欧金貸し(黒い貴族ーイエズス会、ロスチャ)の支援を受けていた。
※天皇がロックフェラーに転じたのはいつ頃か?日英同盟破棄と同時期?

天皇破壊史 リンクより
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*明治6年キリスト教(イエズス会)禁止令が撤廃され、天皇は長年の国教であった仏教を保護することをやめた。
明治天皇はイエズス会の将棋の駒であった。

*イエズス会は天皇の軍隊をもって、イエズス会の旧敵、中国(1895年)、ロシア(1905年)に対する戦争を起こさせた。(両国はともにイエズス会を追放している。)そして、1941年、日本が報復される。(太平洋戦争)

*ユダヤ・イルミナティ・イエズス会の売国奴・手先である伊藤博史、岩倉具視、大久保利通らが孝明天皇(睦仁親王)を弑逆(しいぎゃく)し、ニセ明治天皇の大室寅之祐にすり替える。

(中略)
*300人委員会の前身である英国東インド会社は私的営利企業であり、株式会社である。私的営利企業株式会社がインドを植民地として支配していた。

*西郷隆盛は、明治維新第一の功臣であるのみならず、当時の日本にただ一人の「陸軍大将」だ。その西郷が、「腐臣のたむろする皇室に反逆の剣を差し向ける」「わが忠誠は[日本]にこそあり」と、すでに明治6年、意を決していたという。これは、どうでもよいような歴史上の些事(さじ)ではあり得ない。
西郷は、日本と天皇はもはや一体ではない、「天皇=日本」ではなくなってしまった、天皇は腐臣どもに取り込まれたと見た。その「腐臣」は誰を指しているのか。
「腐臣」の元凶は、岩倉、三条と大久保利通そして木戸、山県、伊藤、井上らの長州閥である。何がゆえに、彼らは「腐臣」と呼ばれねばならないのか。
彼らは、西洋式「文明開化」に毒された官僚になってしまったからである。
そして、天皇もまた、これら西洋かぶれ、西洋に毒された腐臣の道具、その手駒、その傀儡と化してしまったのではないか。
天皇は日本と縁が切れた。天皇は日本にあらず。ゆえに、西郷は天皇に対し、皇居に対して刃を向けざるを得ない。これが明治6年、西郷の本心だという草森説は正しいと私は思う。

*昭和天皇は、明治天皇、大正天皇に続き、1929年(昭和4年)、英国王(ジョージ5世)からガーター騎士団(ガーター結社)の一員に任命された。れっきとした大英帝国の構成員、以外の何者でもない。
西郷隆盛的陸軍の影響力が残存している限り、大英帝国ガーター騎士団員としての昭和天皇の性質は、常に陸軍との間に葛藤を生じさせた。しかし、今や日本陸軍は敗れ、敵(ユダヤ・イルミナティ世界権力)が日本全土を占領し、そこに大英帝国ガーター騎士団員としての昭和天皇が出現した。つまり、昭和天皇は、英国王の臣下の一人なのである。
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(引用以上)

 

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