でっちあげ天皇制=田布施システム

杉並からの情報発信ですリンクより転載します。
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1867年の明治維新以降1945年のアジア太平洋侵略戦争敗戦までの日本を支配し海外侵略戦争と国民弾圧を実行したのは【天皇制軍事独裁体制】でありその中心は【でっちあげ天皇制=田布施システム】である!

 1945年の敗戦によって【でっちあげ天皇制=田布施システム】は一時的に消滅したが、戦勝国の米国支配層は戦後の日本を支配し搾取する道具として【田布施システム】を復活させ現在まで機能させている!

 明治維新から敗戦まで【でっちあげ天皇制=田布施システム】を担った中心人物は、孝明天皇と睦人親王を暗殺し自らの出身地である山口県熊毛郡田布施町の大室寅之助を明治天皇にすり替え【明治天皇すり替え】を隠ぺいするために【大日本帝国憲法】を起草して【天皇神格化】【万世一系天皇】【天皇統帥権不可侵化】をでっちあげた伊藤博文であり、神格化した天皇を演じ侵略戦争を主導した昭和天皇であろう!

 1945年の敗戦後、戦勝国の米国支配層と一体となって【米国による日本植民地化】の基礎を築き国民を支配し搾取してきたのは戦争責任を免責され1950年代に日本の権力機構に完全復活した【戦後の田布施システム】であろう!

 戦後の【田布施システム】を担った中心人物は、戦争犯罪を免責され【平和天皇】を演じて助命と天皇制存続と引き換えに日本全土への米軍駐留を推進した昭和天皇と米国CIAスパイになることでA級戦犯処刑を逃れ米国支配層の援助で首相となり1960年に国民の大反対を暴力で封じ込んで【日米安保条約】【日米地位協定】を強行採決し現在まで続く【米国による日本支配】の法的根拠を与えた岸信介であろう!

 1947年5月3日に【日本国憲法】が公布された段階で、国民は昭和天皇をはじめとする戦争犯罪の政治家や軍人や国家官僚や経済人らの責任追及と厳罰処分しついほうすべきだったのだ!

 1947年5月3日に【日本国憲法】が公布された段階で、国民は国民弾圧を犯した特高官僚や内務官僚の責任を追及し厳しく処罰すべきだったのだ!

 1947年5月3日に【日本国憲法】が公布された段階で、国民は【天皇制】【靖国神社】【君が代】【日の丸】を廃止すべきだったのだ!

 その時には何もできず、その後もずっと何もしないできた【大きなつけ】が、今【戦後田布施システム】の守護神である安倍晋三というグロテスクなファシスト&サイコパス(人格破壊者)の政治家の登場を許し日本を戦争と貧困と差別と棄民の暗黒世界に導こうと暴走するのを許しているのだ!

 【関連情報1】

 (1)明治維新以降現在までの山口県田布施村と萩出身の首相8名!

 伊藤博文(田布施町)、山形有朋(萩市)、桂太郎(萩市),寺内正毅(山口市),田中儀一(萩市),岸信介(田布施町),佐藤栄作(田布施町),安倍晋三(長門市)

 (2)その他の山口県田布施村と萩から排出した人材

 大室寅之祐 すり替え明治天皇

 難波作之助 代議士(難波大助という皇太子を銃でうとうとした男の父親)

 国光五郎  代議士

 鮎川義介(ぎすけ)日産コンチェルンの総帥、

 久原房之助(くはらふさのすけ)日立グループの総帥、

 松岡洋右 外務大臣

 宮本賢治 共産党書記長

 京大教授の河上肇 マルクス主義を世に広めた

 岩田宙造 法律界の大御所

 安部源基 内務相トップの特高官僚
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以上です。

 

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