八咫烏とはなにか:裏天皇の存在。

以下引用サイト
リンク

*********************************************

 八咫烏とは、神武天皇以前に既に奈良にいた「もう一つの天皇家」のことである。同じ天皇家だったから八咫烏から現在に繋がる天皇家への国譲りが出来た。遡ると邪馬台国の卑弥呼の時代から既に彼らはいた。八咫烏の正体は物部氏である。

物部氏とは、中国の秦始皇帝の命を受けた除福が連れてきた技術者集団であり、それが若狭湾など複数の地点から上陸してきた。そして、神武天皇への国譲り以後は裏天皇として存在を維持することになった。これが八咫烏である。

八咫烏の主な役目は何かというと、祭司にのみ関係している。祭司を教授する組織が八咫烏である。皇太子が後を継ぐときになされる大嘗祭は京都で行われる可能性が高い。天皇がやるべき儀式、そして天皇の目的、天皇が将来的に何をするかという預言、それらを司るのが八咫烏である。

天皇家の京都への移動も八咫烏が決めている。もし、天皇家に男子が出生しなかった場合でも、八咫烏の家系から男子を連れてくる。(物部系の天皇に入れ代わることになる。)神武天皇以降の天皇家は基本的には秦氏系である。ルーツはどちらもユダヤだから大きな違いは無い。

八咫烏は現在70名いる。その上部組織は12名からなっていて、「大烏」と呼ばれている。さらに、その中で最高位に立っているのが3人の金鵄がいるという構図である。金鵄は天皇に代わって祭司を行ってきた裏天皇であり、建国以前から日本史の秘密を全て握っている存在である。八咫烏というのは物部氏だから、天皇家を裏から支えているのは物部氏ということになる。

伊勢神宮の内宮や外宮を裏で支えているのは伊雑宮(いざわのみや)という物部系の伊勢神宮であり、京都においても天皇を守っていた下鴨神社と上賀茂神社を支えているのは物部系の河合神社である。伊勢神宮は現在地に鎮座するまで、90年かけて候補地を転々としている。それを元伊勢(もといせ)というが、その元伊勢の中でも最重要な存在が籠神社(このじんじゃ)である。これは、特別に本伊勢(ほんいせ)とも呼ばれている。

籠神社の裏社紋がユダヤのシンボルであるダビデの星である。物部系の神社はユダヤの旧約を守っていたから血の儀式をやっていて、牛などを生贄(いけにえ)に捧げていた。ところが、秦氏系の神武天皇の後からは血の儀式を止めるようにお触れが出て、今は何処もやっていない。

八咫烏と対抗するために置かれたのが「忍(しのび)」である。それを造ったのが聖徳太子のブレーンとされる秦河勝である。物部氏の八咫烏に対して、秦氏は忍を置いた。甲賀や伊賀といった忍者の里は、八咫烏の領域の真ん中辺りに置かれている。

聖徳太子の正体は秦河勝であり、秦氏が忍者を創設したことになり、全ての辻褄が合う。八咫烏は政治を一切やらない。日本は基本的に秦氏と物部氏との間のバランスで成立してきた。物部氏は裏に回る約束だった。しかし、時々暴走する物部氏が出てくる。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=331737

シェアする

フォローする