植物が緑色なのは、他者との共生を望んだからではないか?

植物がなぜ緑色をしているのか。それは未だによく分かっていません。
「緑に見える」のは、葉が緑色の光を反射あるいは透過し、他の色の光を吸収しているからで、それは、葉は緑色の光をあまり必要としないということを表しています。光のエネルギーを取り入れて光合成するのに、緑色の波長領域のエネルギーを捨てている。ところが、地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがあるようです。強い緑色光を使えば良いのに、なぜ植物は非効率な道を歩んだのか?

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オークヴィレッジ代表の稲本正さんが、とても興味深いことをおっしゃっている。「葉っぱはどうして緑色なのか」 ということだ。

これに対して、「葉の主成分であるクロロフィルの色だ」 とか 「緑色の光線を反射するから緑色に見えるのだ」 とか、いろいろの説明があるのだが、稲本さんはそれでは満足のいく答えになっていないというのである。根元的な問いは 「葉っぱはどうして緑色の光線を反射する道を選んだのか」 ということだ。

太陽光をプリズムで分解してみると、目に見えるところでは赤から紫まで広がっていて、その中でも一番有力なのは、真ん中の緑色の部分だ。ところが、葉っぱは敢えてこの一番有力な緑の光線を反射して取り入れないようにし、赤と紫の部分の光線を取り入れている。だから我々には、葉っぱは緑色に見える。

葉っぱが太陽光を最も効率的に取り入れようとしたら、自らを真っ黒にすべきだったのではないかと、稲本さんはおっしゃるのである。そうすれば、太陽の光をあますところなく吸収して生きることができる。ところが、植物はそうしなかった。葉の色を緑にし、太陽光の最も有力な部分を反射して、他に分け与える道を選んだ。

もし葉っぱが真っ黒な色をしていたら、地球は真っ黒な植物に覆われ、ずいぶん暗く味気ない星になっていただろう。そして植物以外の生命は栄えることができず、ということは、植物自身も動物との共生を行えず、自らの進化の道を狭めることになっただろう。

もとより植物は生態系の中のエントロピーを減少させる働きをしていると、稲本さんはおっしゃる。動物がひっきりなしに吐き出している二酸化炭素を吸収して酸素を供給し、放っておけば汚れてしまう水を浄化し、動物の体の元となる有機物を作る。混沌の真っ只中で自ら有機物を生産する力があるのは、地球上で植物だけだ。

植物は、自ら地上で栄えるばかりでなく、自らの直接の取り分を小さくしてまで動物たちに太陽光の最も豊かな部分を反射して分け与え、共生する道を選んだのだと、稲本さんはおっしゃるのである。

植物が意識的に (植物に意識というものがあると仮定して)そうした崇高な道を選んだのかどうかは、わからない。単に偶然の結果、そうなっただけなのかもしれない。

しかし、太陽光の独占 (「強欲」 といってもいい) は、動物との共生 (受粉だけでなく、根からの栄養分の吸収にも土中の動物は大きな役割を果たす) の道を狭め、結果的に自らの生命の可能性をも小さくする。

植物がここまで上手に進化することができたのは、宇宙の法則にうまく適合したからだ。法則に反した道を選んだら、勝手に自滅していただろう。ということは、「他との共生」 こそがこの世のあるべき姿であり、それに合致したものこそが生き延び、栄えることができるのだとみてもいいだろう。結果が雄弁にそれを証明している。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=309494&g=131207

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