かって大手新聞が「人工地震」を報じていた・・・人工地震は陰謀論などではない、実際におきている。

なぜ『読売』なのかは判りませんが、一般紙で『人工地震』が報じられたことに驚きます、そして今緘口令がひかれている。これは『人工地震』が陰謀論ではなく事実であることの証左でもありましょう。リンクより転載
************
どうやら「人工地震兵器」なるものは、太平洋戦争中から存在したようです。昔から地震兵器は、実在する強大な大量破壊兵器だったのです。
昭和初期においては、人工地震は日本でも盛んに研究されており、それを新聞紙上で目にすることはよくあったことなのです。その証拠をお見せします。1953(昭和28)年から1984(昭和59)年までの間の10本の新聞記事(読売新聞)を以下に示します。記事内容については、サイトを開けば、読むことができます。
─────────────────────────────
 ◎1953年 9月13日付、読売新聞
  「人工地震で9名がガス中毒/釜石」
 ◎1956年12月 5日付、読売新聞
  「最大の人工地震成功/茨城/吹きあがる地下水6本」
 ◎1957年 8月26日付、読売新聞
  「震度5で大成功/茨城で人工地震」
 ◎1957年 9月 7日付、読売新聞
  「原爆で人工地震/ネバダで14日に初実験」
 ◎1958年 6月17日付、読売新聞
  「人工地震で落盤30人が生き埋め」
 ◎1961年11月10日付、読売新聞
  「深夜の人工地震/新潟で本土横断の地殻構造を調べる」
 ◎1965年 3月31日付、読売新聞
  「人工地震/日本列島は生きている」
 ◎1973年 8月30日付、読売新聞
  「地震/発生待つ制御研究を」
 ◎1975年 6月18日付、読売新聞
  「気象兵器で米ソ交渉/開発禁止話し合う」
 ◎1984年 3月12日付、
  「人工地震大きすぎた/新幹線ダイヤ乱れる」
                   リンク

─────────────────────────────
しかし、最近では、「人工地震」とか「地震兵器」という言葉を新聞紙上で見ることはありません。いつの頃か、ある勢力から緘口令が発令され、メディアから姿を消してしまったのです。なぜ、緘口令が敷かれたのでしょうか。1975年6月18日付の読売新聞では、「気象兵器で米ソ交渉/開発禁止話し合う」という記事があります。これについて、地震兵器の研究者である泉パウロ氏は、次のようにコメントしています。
─────────────────────────────
新聞記事は1975年6月18日の読売新聞のものです。「気象兵器で米ソ交渉」という見出しですが、ジュネーブで開催された会議で米ソは互いに気象兵器の開発禁止を話し合っています。
この柔らかにカモフラージュ表現された「気象兵器」こそHAARPと呼ばれる「地震兵器」の別称です。近年、どうやら新聞界では「人工地震兵器」とは死語になっているようです。
 
地震兵器は戦後66年経った今でも実在して日々、殺傷力を高める研究開発がなされ続け、時に第三国で実用している。それほどのものだからこそ、当時米ソがあえて協定ラインを設けて互いに人工地震兵器で攻撃しあわないよう合意を得る会議を開催する必要性が生じたのです。人工地震兵器の存在と脅威とは国際的な暗黙の一般常識です。    
泉パウロ著/ヒカルランド刊『本当かデマか「人工地震説の根拠」衝撃検証』
─────────────────────────────
********
転載終わり。

シェアする

フォローする