「田布施システム」と明治天皇替え玉説、明治以降の日本の歴史は虚構でしかない

NAVERまとめ2015年6月22日
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――――――(以下、引用)――――――
最近、検索してて知った衝撃のキーワード「田布施システム」。安倍さんの祖父・岸信介など、歴代首相の出身地だという、山口県の小さな町。ここに「明治天皇替え玉説」など日本の現代史を理解する重要なカギがあると聞いて、ざっと調べてみました。多少、矛盾する情報もあり、どこまで信じるかは読む人にお任せします・・・
●山口県の小さな町から、なぜか多くの首相や重要人物が出ている
>伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
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山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ 偽天皇と山口県田布施朝鮮部落システム|六道輪廻サバイバル日記リンク
>明治維新後、田布施出身の多くの志士が明治政府の重要なポストに就くこととなります。そしてその流れは受け継がれ、現在の安倍首相へと繋がっているようです。この明治維新から受け継がれてきた一連の流れは、「田布施システム」と呼ばれています。
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速報!!  『これ知ってます?』リンク
●1867年の「王政復古の大号令」、実は田布施で発せられたという
>田布施町の高松八幡宮が、七卿が逗留し松陰派の長州若手指導者達と皇政復古の産声を上げた所である。
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熊毛郡・田布施町(たぶせちょう) : 皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集リンク
>「玉」および奇兵隊一条勝子以下三条ら五卿、島津久光、薩長同盟幹部一同は打ちそろって1867年12月9日、田布施町麻郷井神の高松八幡宮にて 「王政復古の大号令」を発し新調の錦旗を掲げる官軍(薩長諸隊)の出陣式を行った。
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●長州藩は長年、南朝の末裔をかくまってきたという。
>毛利家があり、小京都・萩に南朝の正統をかくまって来た
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隠された本当の歴史4リンク
>南朝系”隠し玉”はこの他にも全国にいて、南朝復興論を主張する雄藩が、熊沢天皇(水戸藩)、小野寺天皇(仙台藩)、三浦天皇(井伊藩)、井口天皇(紀州藩)、朝里天皇(紀州藩)などを抱えていました。
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大室寅之助(明治天皇)は南朝・護良親王の末裔だった!|”新次元への光”リンク
●桂小五郎・伊藤博文ら長州の志士たちは、この南朝の末裔を天皇にして政権を取ろうと考えた
>「薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎から西郷南州(隆盛)に「我々はこの南朝の御正系をお立てして王政復古するのだ」と云うことを打ち明けた時に、西郷南州は南朝の大忠臣菊池氏の子孫であるから衷心より深く感銘して之に賛同し、遂に薩藩を尊皇討幕に一致せしめ薩長連合が成功した。之が大政奉還明治維新の原動力となった。」(田中光顕)
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北朝と南朝リンク
>南北朝時代の後醍醐天皇の第一皇子である護良親王の息子の光良親王の子孫で地家氏(後の大室寅之助の生家)という家系があって…天下を取った時の”隠し玉”として大切に匿われていた…この地家寅之助は、この後、同じく護良親王の末裔である周防の国の田布施というところにある大室家に養子に入り、大室寅之助と名乗りました。
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大室寅之助(明治天皇)は南朝・護良親王の末裔だった!|”新次元への光”リンク
>田布施川を渡って、あの山の向こうの方から老人がいつも野菜を売りに来ていた。」 …ところが時々変なことを言う。何を言ってんだといったら、『うちの爺ちゃんは明治天皇や』と言うてるんですよ。
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山本五十六の真実�鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密 ♪ペリマリ♪リンク
>大室寅之祐(明治天皇)は、長州奇兵隊の伊藤博文の力士隊の隊士であったから、伊藤の子分同様であった。
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大室寅之祐( 明治天皇)は、長州奇兵隊の伊藤博文の力士隊の隊士であったから、伊藤の子分 : マンゴーの醤油煮リンク
●孝明天皇の息子・睦仁親王と明治天皇は、同一人物にしてはだいぶキャラが違う様子
>大室寅之祐(明治天皇)と睦仁親王は正反対の性格と体格で誰でも一目でその違いがわかった。
>寅之祐は勇壮で体が大きく、乗馬、相撲が得意だった(もと、力士隊にいたから当然か)。
>睦仁親王は女のように華奢で病気がちで、乗馬ができなかった。
>寅之祐は達筆だったが、睦仁親王は字が下手だった。
>睦仁親王は幼時、種痘をしたはずなのに、寅之祐の口の周りには5,6個の痘痕があった
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大室寅之祐が明治天皇になったといえる勇気を持とう! 【明治維新真実情報公開法案の早期法案提出を】 愚民党リンク
●実は、攘夷派だった孝明天皇(北朝)と息子を暗殺、大室寅之助少年を即位させたという
>薩長土肥、及び岩倉具視などの開国倒幕派にとって孝明天皇と孝明天皇の信任が厚かった徳川家茂は、いずれも彼等の理想を阻む厄介な存在だった。
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明治天皇誕生秘話にまつわる奇々怪々
>「実は明治天皇は孝明天皇の子ではない。
 孝明天皇(北朝系)はいよいよ大政奉還、明治維新というときに急に殺されて崩御になり…睦仁親王は暗殺され、これにすり替わった明治天皇は、後醍醐天皇(南朝系)の第 11番目の皇子光良親王の子孫で長州萩で毛利氏が守護してきた。
 薩摩と長州の間には、この南朝の末孫を天皇にすると言う密約があり、これが王政復古御一新を志した勤皇の運動である」(田中光顕)
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明治天皇誕生秘話にまつわる奇々怪々
>「「明治天皇」は「後醍醐天皇」第十一番目の皇子「満良親王」の御王孫で、毛利家の御先祖すなわち大江氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち…代々長州の萩に於て、此の御王孫を御守護申し上げて来た。」(「芳聖文書」)
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天皇の暗号: 明治維新140年の玉手箱 – 大野芳 – Google ブックス
●たしかに、現天皇家は北朝由来のはずなのに、明治になって南朝の名誉回復が行われている
>1911年(明治44年)…『大日本史』の記述を根拠に、明治天皇の裁断で三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされ
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南北朝正閏論 – Wikipediaリンク南北朝正閏論
>疑問は、皇居の楠木正成の銅像(明治33年、1901年完成)を見たときに決定的となりました。
北朝の天皇の住んでいる皇居が、南朝に最後まで身をささげた家来に守られているわけ?
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今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている) リーマンリンク
>明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていない…これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。
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山口県田布施町の怪 〜日本国家の真相〜 (心に青雲) ウソ捏造工場リンク
>つまり、玉(ぎょく)を握っていた長州が、他の維新三藩を大きく引き離し、維新以後の政治に大きな勢力を持ち、政権担当者(総理大臣)を多数排出する事になる。
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碧い世界 魑魅魍魎うごめく裏の裏3 長州(田布施)毛利~神社sリンク
●ところで、明治維新のプロセス全体が、ロスチャイルド系商社のプロデュースによるものだという話も。。。
>龍馬はグラバー商会(ロスチャイルド系)から武器を買い入れて、まず薩摩に売った。薩摩を仲立ちにする形で長州へ横流ししているのである。これが薩長同盟のきっかけとなっていくわけだ。武器証人のグラバーからすれば、幕府の次に新政権が樹立されるにあたって日本国中が内戦状態になればなるほど懐が潤う。
>長州五傑(井上馨・遠藤勤助・山尾庸三・伊藤博文・井上勝)。…長州ファイブの面々の留学費用を工面し、留学を手配したのはやはりグラバー。もちろん、ジャーディン・マセソン商会がスポンサーだ。つまり、長州ファイブの連中は、ロスチャイルドの手引きでイギリスに密留学したのである。
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属国離脱への道〜【入門編】日本近現代の謀略探求〜 iso0704/isoリンク
●ここで、政治家の系図があったのでご紹介。びっくりです。
>調べてみたら、田布施に縁のある岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、麻生太郎や吉田茂そして天皇家とも親戚関係でつながってるんですね。麻生さんは戦前の麻生財閥ですし。なんか明治維新以来、一部の人達でずっと日本を牛耳ってきたんだなあと、ちょっとあきれました。そりゃ庶民感覚なくなるわけだ。
ちなみに松岡洋右は田布施近辺の出身、大久保利通は薩摩藩です。リンク
●最後に、こんな動画も発見。
>日本の真相1 明治天皇すりかえリンク
>まとめ:
明治天皇替玉説を100%信じるわけでもないですが、最初は驚いたものの、ありそうな話だと思うようになりました。一種のクーデターって感じですかね。別項目の、神道についてのまとめを見ていただくと、明治維新が何だったのかもっとわかると思います。
それにしても、政界ではいまだに明治維新の時のいきさつが尾を引いているらしいことに驚きました。日本は民主主義国になったのに、特定の土地や血族から首相が出続けるなんて、おかしな話だなと思います。

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