万能だと過信されている「科学」:科学のウソについて

さて、科学という言葉がある。この科学という言葉は現代において基本中の基本の思想概念とされており、ほとんどすべての先進国住民は「それに科学的根拠があるのか?」ということを問うように「設定」されている。教育も科学的考察を基調とするよう「設定」されており、さらにいえばそれは科学的でなくても「根拠があるのか?」という風に考えるよう「設定」されている。しかしじつのところ、この概念を人類に植え込んだことこそ、「彼ら」のシステムを構成するうえで、最大の重要性を持っていたといっても過言ではないかもしれない。
これは別にスピリチュアル万歳とか言っている話ではない。そんな話ではなくきわめて現実的で三次元的な話である。科学のウソは科学の捏造、統計学の嘘、そして単一素因論の嘘、主観と客観の混同、主体操作からはじまり、はては既存科学へのとらわれ、軍事技術を筆頭として小出しにされる小手先技術を科学と信奉すること、さらにいえば「論理的に考えること」さえも含まれる。グーミン達は自分では論理的に考えているつもりだが、実はそれも洗脳されていることには気付かない。これは特に男子に強い傾向があるが、もちろんプライド優先のグーミン達が認めることなどできるはずがない。
また、科学信奉するよう洗脳された人々は、全ての人が単一素因論を基礎として考えていることに気付いていない。例えば放射能であれば、その放射能がどの物質といかなる作用を及ぼすのか、元の人体の状態の違いによる変化、被爆後の食べ物や生活、その他の要素をほとんど考慮しないまま、してもそれをデータとして結実させることはないまま、ほとんどの結論を出している。これは放射能肯定派であれ否定派であれそうであり、実はそれ自体が全ての論理が多かれ少なかれ破綻していることには気付かない。もちろんここでも人々は自分が正しいことしか頭にないし、そのように「設定」されているので、反科学的考えをもつことさえできない。
医学狂信者が大好きな考え方の一つが統計学的な考え方である。そのような人々は根幹的な問題としてこの学問のなにが問題か知らない。というより統計学が何のために編み出され、あなた方を騙すために開発された学問であるかということを知らない。だからグーミンはグーミンのままなのである。統計学の源流は国家調査である。学問としてはウィリアム・ペティの『政治算術』だそうだが、ペティがイエズス会で学びフランシス・ベーコン(シオニストの手下)などと親交があり、死後の1688年に妻のペティ夫人がシェルバーン男爵夫人に叙せられ、長男のチャールズ・ペティがシェルバーン男爵となったことなどほとんどの人は知らない。つまり統計学はあなた方グーミンたちを洗脳ことを目的として作られた学問だ。
たとえば医学に目を戻すと、医学の統計において最も信憑性があるものが、二重盲検試験であると言われている。これは二つの集団を無作為に選び、薬と偽薬を投与して、その効果を比較するものだ。この考え方にのっとって医学が評価されるようになって、医学は衰退の一途をたどりだしたといえる。というより、そもそも医学でも統計学でもそうだが、人を助けたり癒したり問題を解決するために編み出されたものでないことがわかる。
だからこそ本当にわかる人には科学でできることなど極めて限られるという表現になる。むしろ真なる科学者よりグーミンたちのほうが圧倒的に科学狂信者であるといえよう。しかし医学は捏造科学のオンパレードである。たとえば二重試験でも偽薬が30%で薬が40%の改善率なら、それは薬としてみなされるというわけだ。その改善は何を持って改善と呼ぶのかの定義もあいまいであることが多い。脱落などの要素も検討されていないことが多い。複数素因ももちろん検討されていないことが多い。薬の認可のされ方さえほとんどの人が知らないのが現状である。語弊を恐れず言えばそのような人々を総称してバカと呼ぶのがふさわしい。

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