【陰謀論】北朝鮮は日本が作った残置諜者の国だった?リンクから引用させていただきます。
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最近、ネットを見ていて面白いなと思ったのは、「北朝鮮は日本が作った」という話ですね。
(中略)
金策という男が金日成の背後にいたという事なのですが、 彼がロシア工作で有名な情報参謀明石元二郎大佐の系列の人物で、日本の朝鮮統治に反抗するパルチザンに送り込まれたというのです。
終戦を迎えるに当たり、米帝やソ連の赤化から日本を守るために置いたのが北朝鮮で、金日成のパルチザン神話をねつ造し、擬似天皇制を確立したのが金策だったようです。※中野学校出身、陸軍特殊機関の畑中理が終戦後、日本はアメリカに占領され言いなりの属国になってしまうと危機感を持ち「朝鮮半島にもう一つの日本を作ろう」として残置諜者(ざんちちょうじゃ)となり、金日成の片腕として残ったということで、金策とは元々、畑中理がパルチザンに潜入している時からの偽名であったようです。
(中略)
残置蝶者とは、敵の占領地内に残留して 味方の反撃に備え各種の情報を収集しておく情報員のことで、 有名なのはフィリピンのルバング島で残置諜者として残っていた小野田さんですね。
一説によると小野田さんは、山下財宝や丸福金貨を守っていたという説もあるようです。さて、畑中理は現地名を金策(キムチェク)と名乗り、朝鮮半島に大日本帝国陸軍の思想を残そうとし、旧陸軍の教育プログラムを用いて独立国を作ろうと画策したということのようです。
現在も北朝鮮には、金策軍官学校という学校名が残っているようですし、鴨緑江の下、日本海側には金策の功績を讃え金策市という街があるようです。
(中略)
では、もう一つの日本である北朝鮮が、なぜ拉致問題を起こしたのかという事ですね。
ひとつは、日本と北朝鮮が手を組むことを阻止するために、アメリカが仕組んだ巧妙なプロパガンダ(煽動目的の意図的宣伝)という説があります。
日本人の拉致行為を計画し、実行したのはCIAであり、それだけでなく、それを日本政府も警察庁も黙認していたというのです。
現在はどうなっているのかは分かりませんが、以前は、北朝鮮は統一教会とCIAが入り込んでいたアメリカの傀儡であったようです。例えばテポドンなどは、北朝鮮がミサイル実験をするたびに日本はミサイル防衛網に巨額の資金を投入し、アメリカの軍事産業を潤しているということのようです。
警察や公安がなかなか捜査に踏み切れなかったのも、上記の理由や、与野党問わず北のシンパの議員が多数 跋扈していたからなのだそうです。———————————————-
もうひとつは、拉致された横田めぐみさんの祖母である?方子さん
が日朝の架け橋になるために李王朝李垠に嫁いだという話がある
ようなのです。なので、金王朝は李王朝と日本の皇族の末裔である横田めぐみさんを
国母として、皇統の正当性を主張する必要があったというのです。なぜ、そのような話が出て来たのかというと、横田めぐみさんの
母と、李王朝方子さんがそっくりであったという事もあったので
しょう。元航空自衛隊南西航空混成団指令空将佐藤守著「金日正は日本人だった」
には、このようにあります。佐藤氏はある人物を介して「北のディープスロート」に接触したようです。
その人物は80代くらいで、その物腰から、かつての半島の情報部員か
旧陸軍関係者ではないかと推測されているようです。彼は「日本人は感情でしかものを見ない。我々半島の人間は、実証的に
事実から分析する。例えば先の戦争。佐藤さんはいつ終結したと認識して
おられるか」佐藤氏は昭和20(1945)年8月30日にGHQのダグラス・マッカーサーが
厚木飛行場に下りたち、9月2日後に東京湾に停泊中のミズーリ号艦上で
降伏文書に調印したと述べたのに対し、彼は続けて、「歴史上は確かにそういうことになっている。だが実際は、その後も
日本は『白魔』と戦い続けていた・・・」インドネシアでは、終戦後も在留兵たちが、現地の国軍とともに
インドネシア独立を掲げ、オランダに抗戦。そこで佐藤氏は、大東亜戦争の終結は昭和50(1975)年4月30日に
サイゴンが陥落した時点とし、その理由を井川少佐ら旧陸軍将兵が、ホー・チ・ミンの独立運動を支援し、ディエンビエンフーでフランス軍
を殲滅し、その後、フランスに代わって侵入してきたアメリカ軍を
打ち負かしたからではないかと伝えたそうです。その答えを受け、老人は続けてこのように言ったそうです。
「ベトナム戦争で、強靭な戦いを繰り広げた『ベトコン』に
アメリカは敗北した。そのベトコンの大半は北朝鮮軍でした。彼らは日本の戦陣訓どおり、生きて虜囚の辱めを受けなかった。
アメリカは日本軍が後ろで糸を引いていると考え、旧軍人関連
組織、右翼組織を疑ったが、アメリカ軍の捕虜が多数北朝鮮に
移送されたことを知った」1959年から75年にかけてインドシナ半島でベトナムの南北統一を
めぐって展開されたベトナム戦争は、実質的にはソビエト連邦、中華人民共和国に代表される共産主義陣営と、
アメリカに代表される資本主義陣営の対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」だとされていたようですが、
それは表面上のことで、実際は日本の残置諜者国家北朝鮮とアメリカの戦いであったのだそうです。しかし、金策の残置諜者国家である北朝鮮が、その野望を阻み、
完全に封じ込めたと思っていた旧日本帝国軍は北朝鮮という国に
形を変え、アメリカを駆逐したというのです。その後、これに怒り、危機感を持ったアメリカがCIAや統一教会を
使って北朝鮮に浸食して行ったと佐藤氏は推測しておられるようです。しかし、金策は朝鮮戦争で既に死亡している筈、その点に対して、
この北の老人はこのように言ったのだそうです。「金策が既に亡くなっているかどうかは別として、金策は一人ではない。
金策は象徴であり、北には何人もの金策がいたのです・・・」そして、老人は朝鮮戦争の意味合いに触れ、朝鮮戦争で最も利益を得た
のはどこか?それは日本ではないかというのです。戦争特需で経済復興の足掛かりをつかみ、これが戦後の驚異的な経済
成長につながっていく。また、後に自衛隊となる警察予備隊が結成され、日本はまがりなりにも
真の独立国家へと脱皮する基を築いた。これこそ、日本の残置諜者国家北朝鮮が朝鮮戦争に踏み切った大きな
目的だったというのです。ところが、独立国に復帰しても、肝心の日本はアメリカの属国から
脱することができなかった。その老人に言わせれば、戦後日本の為政者たちは、その大半が
アメリカの傀儡でしかなかったからだというのです。金策たち、あるいはそれに連なる北の勢力にとって、これほど失望した
ことはなく、金正日の日本人拉致を認める告白も、そのことを抜きに
しては考えられないということだったようです。金日正と小泉元総理の会談前に、日本海で金策号が現れたということ。
これは日本に巣くう、多くの北朝鮮崇拝者と称する裏切者たちに対する
シグナルであった。つまり、数十年前から拉致されている日本人を知りながら、知らぬ存ぜぬ
を繰り返してきた、日本人政治家グループ(在日を含む)に対する警告で
あったのだそうです。